こうした状況から、十数名と見られる被害者の中から4名の方が、裁判で卞宣教師が行った 事実を明らかにさせるしかないと決断しました。被害者たちは今なお甚大な精神的苦痛に苦し み続けており、一日も早く卞宣教師らが事実を認めて悔い改めと償いをすることを切望している のです。
「クリスチャンなのになぜ裁判に訴えるのか」という意見がしばしば聞かれます。
信仰的と思われるのかも知れませんが、実は安直で、そのような意見は卞宣教師の築き上げてきた
「人間の王国」に加担するものでしかありません。神様の願いは、教会が世の裁判を通して、
世の法律の背後にもおられる神様を畏れ、世にも通用する当然の聖さを回復することであると、
私たちは信じています。
日本の教会には、教会内部の不祥事を世の法廷で扱うのは宣教の妨げであり、
とんでもないことだという考え方が非常に根強くあります。
実は、卞宣教師も国際福音キリスト教会の信徒たちに長年そのように教えていました。
それは果たして聖書的な教えでしょうか。1人で悔い改めを迫っても、2〜3人で迫っても、
果ては教会の権威で迫っても、なお頑なに自らの罪を認めようとせず、
かえって他者に責任転訛をするような者に対して主イエス・キリストは
「彼を異邦人か取税人のように扱いなさい」と明白に命令しておられます(マタイ18 章17 節)。
つまり、神をもおそれぬ者が発信する嘘に、御身体なる教会が引きずり回されることを、
ましてやその罪の隠蔽に加担したりすることを主は明確に禁じておられると、私たちは信じています。