2015年9月12日
モルデカイの会 代表 加藤光一
第1審被告教団である国際福音キリスト教団がホームページ上で公開した「控訴審判決に対する見解-ビュン師は無実である!!-」と題する文書(注)において、訴訟代理人を務める弁護士らは「原審および控訴審判決の判断はいずれも誤りであり、ビュン師は無実である」などと主張している。しかし、その根拠とする主張は、ビュンらの主張そのままであって、第1審および第2審判決によっていずれも理由がないとして斥けられたものであり、「ビュン師は無実である」とする上記文書は評価に値しない。
以下、「セクハラ裁判」に論点を絞り、上記文書の項目1~10の順にその理由を述べて反論する。 (反論全文のPDFはこちら)
※(注) 本教団文書は第1審原告名をイニシャルで表しているため、第三者による当事者特定の危険性を増大させている。これは、裁判所によって定められた「本事件の原告(被控訴人)名およびその特定につながる情報を第三者に開示しない」というルールに反する。ここでは、第1審原告らの秘密保護のため、個人名イニシャルをすべてマスクした教団文書を用いて反論する。 (マスクした教団文書PDFはこちら)
反論:
1. ビュンのセクハラ不法行為は明白
第1審判決は当事者および関係者の証言やその他の証拠を詳細かつ具体的に検討した上で結論を導いており、その判断に誤りはない。
控訴審における控訴人ら(第1審被告ビュンおよび被告教団。以下、「ビュンら」と略称する)の主張は、第1審判決が既に審議した第1審での主張内容と大きな変わりはない。控訴審判決は、新たに提出された書証を含めて、再度、数多くの証拠を精査した結果、「被告ビュンは、1審被告教団の主任牧師であり、最高位の霊的指導者としての立場を利用して、自らの要求に応じることが神の奥義であるかのように指導し、第1審原告(セクハラ被害者4名の全て)が被告ビュンに抵抗することが困難な心理状況にあることに乗じて、性的意図に基づき各セクハラ行為に及んだ。」と、第1審判決よりさらに踏み込んで判示してビュンらの控訴を棄却したものであり、その判断は的確であって誤りはない。
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2. 「ビュンの失脚を目論んで虚偽の被害をでっち上げた」はビュンらの創作
両判決は一般論に依拠して結論が導かれたものではなく、本事件に固有の数々の証拠を精査し、当事者および多数の証人の供述について相互の整合性や客観性をも総合的に判断した結果、被害者らの供述は信用できるとの結論に達し、ビュンのセクハラ不法行為を認定したものである。
「複数のものがビュン師の失脚を目論んで虚偽のセクハラ被害をでっち上げた。」とのビュンらの主張には全く根拠がなく、ビュンらの創作であると言わざるを得ない。ビュンらは法廷においても第1審原告らによる事件でっち上げを立証できず、このような架空の話には裁判所は一顧だにもしていない。
被害者らがセクハラ行為を教団の教職者や外部の人間に個別に訴え始めたのは、第1審原告供述にもあるように、平成13年頃からのことである。平成20年5月以降、複数の第1審原告が勇気をふるってセクハラ被害を訴え始めたため、徐々に教団内で噂が拡がり問題が大きくなっていった。
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3. 民事裁判では、広範囲の証拠に基づいてビュンの不法行為を立証
ビュンらは「セクハラ被害を裏付ける客観的証拠は存在しない。」と主張するが、ビュンがセクハラ行為を否定して虚偽の供述を繰り返し、欺瞞に満ちた主張を続けてきたことこそ問題なのである。そもそも、供述信用性の評価手法の問題以前に、民事裁判では刑事裁判で審理されなかった様々な重要な事実も審理の対象とされているのであり、刑事裁判と民事裁判の結論が同じになるべきであるかのごときビュンらの主張は明らかに誤りである。両判決は、密室での出来事であって物証の少ない本件の性質を踏まえながら、第1審原告らの供述内容に加えて、多くの客観的証拠や他の証拠、証言との整合性を重視し、綿密に検討して信用性評価を行い結論に達しているのである。
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4. 「刑事裁判で無罪であるから民事裁判でもビュンは潔白」は論理の飛躍:
刑事裁判アリバイ供述の信用性には疑問
「(第1審原告のひとりが関わる)刑事裁判ではビュンに無罪判決が出ており、姦淫被害の主張が全くの虚偽であればそれ以外のセクハラ被害に関する主張はいずれも信用できない。」とのビュンらの主張は、論理の飛躍を伴う暴論である。刑事裁判においては、ある特定の日時におけるひとつの姦淫被害について審議された。それ以外の、4名の被害者が民事裁判で訴えた併せて合計70件(訴状に記載した被害件数の合計)に上るセクハラ被害は、刑事裁判では審議の対象とされていない。
当該刑事裁判では姦淫被害発生の日時について、被告人ビュンにアリバイが成立する可能性があるため無罪とされたのであって、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が適用されたのである。姦淫被害が認定されなかったことは残念な結果であるが、民事裁判第1審判決および第2審判決のいずれにおいても、当該第1審原告のセクハラ被害供述の信用性の核心部分は減殺されないとされた点は、きわめて重要である。
当該刑事裁判では、アリバイの有無という重要争点について被害者供述の信用性否定に直結した証拠はデジタルカメラによる写真データであった。刑事事件判決は「デジタルカメラの時刻情報が正しいものであることを前提とすれば」被告人らのアリバイ供述が客観的に裏付けられると判示しており、デジタルカメラの時刻情報が正しいという前提が瓦解すれば、判決そのものが揺らぐことになる。
(追記:デジタルカメラによる写真データに関する判断)
本刑事事件で不法に起訴されたとして、ビュンが国を訴えた別の民事裁判(国家賠償請求訴訟)では、ビュンが敗訴している。国家賠償請求訴訟判決は、「起訴した時点において、被害者供述には、それ自体として相応の信用性が認められ、かつ、その信用性を支える各種証拠も存在し、これと決定的に矛盾する客観的証拠はなかった。その一方、これと矛盾する証拠である本件アリバイ供述には、その信用性を決定的に裏付けるまでの証拠はなく、他方、その信用性に疑問の余地を残す事情もあった。」などとして、「検察官の判断が合理的でないとまではいえないから、起訴は違法であるとは認められない。」と判示し、ビュンの訴えを退けた。同判決は、デジタルカメラによる写真データに関して、「電子データは一般に改変が容易であり、デジタルカメラで撮影された画像の撮影日時についても、カメラの設定時刻を偽ることができる。」とし、「これが原告のアリバイを裏付ける直接証拠とはならないし、被害者供述の信用性を直接弾劾するものではない。」と判示しているのみならず、「画像データが提出された経緯が不自然である。」として疑念を呈している。本判決に不服としてビュンは控訴したが、控訴は棄却されている。
※国家賠償法に基づく損害賠償請求事件(詳細はこちらを参照)
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5. ビュンらは控訴審で故意に虚偽を主張、偽造証拠を提出
セクハラ行為に関して、平成15年4月20日にビュンから謝罪を受けたとの第1審原告のひとりの供述内容は、証人尋問に立った3名の供述内容とも整合しており、その裏付け証拠として提出されたメールは、ビュンのセクハラ不法行為を認定する上で重要である。本供述によれば、当日、ビュンは中央チャペルの4階(注:屋上のこと)事務室に立ち寄った後、謝罪現場である3階にある主任牧師室へ移動した。
ビュンらは、控訴審において、本供述の信用性を毀損しようと意図して、中央チャペル4階と3階の部屋の構造に関して故意に虚偽を主張し、偽造証拠を提出した。
すなわち、ビュンらは「平成15年4月20日当時、中央チャペル4階には老朽化した倉庫があるだけで事務室などは存在しない。同3階にはオープンスペースが存在していたが専用の牧師室はなく、当然、鍵というものは存在しなかった。乙A20号証の図面がその証拠である。」などと主張し、事務室や牧師室の存在を否定したのである。ビュンらは、控訴審において、本来の3階建物図面から構造物であるドアや廊下側隔壁などの主要部分を消して、あたかも3階がオープンスペースのように見える偽造証拠(3階建物図面。乙A20号証)を新たに提出した。
ビュンらの主張は、被告教団中央チャペル発行の当時の週報に「屋上工事がほぼ完成し、先週小牧者訓練会事務局がここに移転しました。」、「先週から新来者の方を礼拝後3階の主任牧師室にお迎えしております。」などと記載されている客観的事実と整合しないことから、虚偽の主張であることは明白である。
また、第1審原告らが控訴審で新たに提出した平成15年3月当時の同チャペル屋上写真(リフォームした事務室が写っている)および平成13年5月に撮影された同チャペル3階内部の写真(廊下の両側に、鍵のついたドア付きの個室が複数写っている)とも整合しないことから、ビュンらの主張が虚偽であることがさらに明白となった。これらの写真は、当時4階に事務室が存在し、3階には牧師室があって稼働していたことを裏付ける証拠であって、ビュンらの主張を直接弾劾する客観的証拠である。
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6. 裁判所はビュンのアリバイ主張に疑義
秘書の手帳などを根拠としたビュンのアリバイ主張そのものの「脆弱性」を指摘し、かつ事案の性質上被害日時の特定が時に曖昧になることも許容し得るなどとして、第1審判決は、「ビュンらが主張するアリバイは原告供述の信用性を弾劾するものではない。」と明確に判示している。
そもそも、本件のように、年月が経過した継続的かつ客観証拠の少ない密室での不法行為について、被害者が発生日時を「頃」として主張することは民事裁判上許されることである。第1審原告も、被害を受けたことを主張しながら、その日時については思い違い(ズレ)のあり得ることを、正直に供述している。したがい、加害行為は一切ないと主張する加害者側(ビュンら)としては、「頃」として補足できる特定の日時の被害内容そのものを弾劾すれば良いのであって、事実、ビュンらは第1審原告供述全体の信用性について争っているのである。
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7. ビュンに親近感を示したのは、セクハラ行為を甘受したと同じ特殊な心理状態
第1審原告らが被害を受け続けながらもビュンに対して一見親しみを表す行動を取っていたことは、被害者がセクハラ行為を甘受したと同じ特殊な心理状態にあったことを端的に表している。
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8. 事件発生のメカニズム:第1審原告らに共通する特殊な心理状態の形成
セクハラ被害を甘受するという第1審原告らの特殊な心理状態を形成した背景として、第1審判決は「被告教団の信徒らは、主任牧師である被告ビュンを中心として権威主義的な運営がなされている被告教団において、一定の宗教的権威であり、高く尊敬、敬愛される被告ビュンからその教えに絶対的に従順であることを教えられ、日常的にも被告ビュンや被告ビュンを高く尊敬、敬愛し、その教えに従順な(少なくとも表面上はそのように見える)他の信徒らに囲まれ被告教団に依存する生活を送っていたのであり、被告ビュンの教えに反することが困難となるような心理状況に陥り易い環境にあった。そうであるからこそ、被告ビュンからセクハラ行為が正当な行為であるかのように説かれていた原告らは、被告ビュンの教えに半信半疑でありセクハラ行為に生理的嫌悪感を抱きつつも、神の教えに従って霊的指導者に従順であるべく、これを正当な行為であると考え又は考えようとしてセクハラ行為を甘受していたと考えられるのである。」と認容している。
ビュンらは「第1審原告らがビュン師からマインドコントロールを受けていたと主張した」かのように主張しているが、法廷において第1審原告らがビュンのマインドコントロールを受けたと供述したことはない。この点に関しては、第1審判決が「真実は性的意図に基づく行為であるのにそうではない正当な行為であるかのように偽った情報を提供され、被告ビュンのセクハラ行為を甘受しなければならないという意思決定を誘導されたと言う点で、原告らは一種のマインドコントロール下にあり、そのためにセクハラ行為を受けていたということも出来る。」と認容したのである。
第1審原告らがセクハラ被害を受けながらも、ビュンへ親しみを込めた手紙やメールを出していたことは、彼らが上記の特異な心理状態にあったことを勘案すれば、むしろ、自然なことであり、その供述は信用できる。また、第1審原告らが上記の心理状態から脱却に向かう際の抵抗や衝突をもって、ビュンの日常の命令や指導に従わなかったと言うのであれば、検討すべき時点を誤っている。彼らがセクハラ被害を継続して受けていた時点でビュンに対して不従順であったか否かを、ビュンらは問うべきである。
なお、教団文書には「本教団がいわゆるカルト教団でないことは、刑事無罪事件判決も認めているところである。」と記載されているが、刑事裁判では準強姦事件が審議されただけで、被告教団がカルト教団であるか否かについては争点となった訳でもなく、判決で判示されてもいない。
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9. セクハラ被害の噂に対するビュン自身の態度は曖昧かつ不自然
「ビュン師は、セクハラ被害の噂が広まった当初は、明確にこれを否定していた。」とのビュンらの主張は、事実に反する。ビュンは、一貫してセクハラ行為を否定していたのではなく、以下(1)~(6)に示したように、謝罪する、覚えていないとはぐらかす、誓約書を書かせる、曖昧な態度をとる、暗に非を認める、謝罪会で土下座するなどの不合理かつ不自然な態度を取った。
(1)ビュンは、現に、第1審原告のひとりに対して自らがセクハラ行為を行ったことを、平成15年4月20日に謝罪している。謝罪の事実と内容は第1審判決でも認容されているのみならず、控訴審において、この点に関する当該原告の供述の信用性はさらに高まった(上記「5」参照)。
(2)「ビュンはセクハラ行為を行っていない」とビュンらが主張する根拠のひとつは、平成20年6月から8月にかけての「真相解明委員会」と称する委員会の方針、確認事項、結論であるが、これらはいずれも信用できない。なぜならば、被告教団の正式文書によれば、「真相解明委員会」設立は平成20年12月22日であって、それ以前の同委員会の結論はすべて架空もしくは事後の創作であると考えざるを得ないからである。
(3)ビュンは、第1審原告のひとりに「私は尊敬するビュン先生から性的な嫌がらせなど一切受けたことがありません。」という誓約書を書かせたが、控訴審判決はこの誓約書について「かえって、当時、第1審原告がセクハラ被害にあったことを訴えていなかったにもかかわらず誓約書を作成させたことは、平成20年5月頃から教団内でビュンのセクハラ行為などが噂されるようになっていたため、ビュンが、同人に抵抗できない心理状態にあった第1審原告に口止めをしたことをうかがわせるものである。」と、新たに認容した。
(4)ビュンは第1審原告のひとりに対して、「これからは言葉にもスキンシップにも気をつける。どんなによい動機のスキンシップでも、西洋の挨拶ででもハグもしないことにする。」とのメールを平成20年11月に送っている。このメールでは、「西洋の挨拶でのハグ」と「どんなによい動機のスキンシップ」とが区別されており、後者は西洋式挨拶であるハグとは異質のスキンシップであって、気をつけなければならなかったスキンシップであると、ビュンが書き送っている。
これは、第1審判決が指摘するように、「ビュンが聖書の姦淫の罪にも当たる行為を行っていたことを自覚していたと考えることが自然」であり、ビュン自らがセクハラ行為を自認したに等しい。
(5)平成20年12月17日に、複数の信徒がセクハラ行為を悔い改めるよう求めた際、ビュンはセクハラ行為の事実を認めるとも認めないとも態度を明らかにしておらず、むしろ、「確かに人間的に言えば、考えれば、私に大きな非があると思いますが...」、「同じ「アイ・ラブ・ユー」でも、場合によっては、これは最高の愛情表現で、場合によっては、これはもう痴漢ですよ。」などと、暗に自らに落ち度があったことを認めている。
(6)平成20年12月20日に開いた謝罪会(注:教団文書では、「辞任説明会」と言い換えている)について、第1審判決は「謝罪会が被害を訴える者に対して謝罪をすることを主たる目的としてビュン自身が開いたものであることからすれば、被告ビュンは女性信徒に対する自らのセクハラ行為又はセクハラと疑われて然るべき行為を十分認識していたからこそ、被害を訴える者に対する謝罪が必要であると判断したと考えるのが合理的である。」、「被告ビュンは、事実の存否に対する考えを明らかにしないだけでなく、話をはぐらかすような曖昧な対応に終始していた。さらに、被告ビュンは、出席者の面前でおもむろに土下座をして被告教団の主任牧師を辞任することを明らかにしており、被告ビュンは、自らのセクハラ疑惑について、土下座の上辞任しなければならないような重大な責任を感じていたことがうかがわれる。」と判示した。
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10. 判決はきわめて妥当
以上のとおり、ビュンらの主張は、第1審原告ら提出の客観的証拠や他の多くの証拠と整合せず、至るところで破綻を来している。加えて、控訴審において偽造証拠を提出して第1審原告供述の信用性を意図的に毀損しようとするなど、ビュンらの法廷における態度は悪質である。
第1審判決および控訴審判決は、当事者や関係者の証言や様々な証拠を詳細かつ具体的に検討した上で結論に至ったものであって、ビュンがセクハラ不法行為を犯したことに疑いの余地はない。ビュン本人および被告教団に損害賠償責任を認めた第1審判決および控訴審判決の事実認定と判断には誤りがなく、きわめて妥当な判決である。
以上