声明文 ー民事訴訟の判決確定を受けてー  

2016年6月20日
モルデカイの会
(宗教法人『小牧者訓練会』による被害
の回復を目的とする裁判の支援会)
代表 加藤光一

 2016年6月14日付けで、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)がセクハラ、名誉毀損、パワハラのいずれの民事裁判についても上告を退ける決定を下したことにより、東京地裁第1審判決が確定しました。

裁判所の判断と第1審判決の意義:
 特筆すべきは、国際福音キリスト教団主任牧師(宗教法人「小牧者訓練会」代表)卞在昌(ビュン・ジェーチャン。以下、ビュンと略称する)から原告4名が長期間にわたり反復継続して不法行為(セクハラ)を受けてきた事実が認められ、ビュン個人と教団に賠償責任を課した判決が確定したことです。
 第1審判決は、多くの客観的証拠をもとに、ビュンのセクハラ行為を原告らの性的自由および人格権を侵害した違法な行為と認め、『ビュンを中心とする権威主義的な運営がなされている教団』において、『主任牧師であるビュンが、信徒が絶対的に従順であることを求められる主任牧師の立場であることを利用し、聖書の教えなどにかこつけて数々のセクハラ行為に及んだものであり....極めて卑劣な行為であるといわなければならない。』としています。さらに、『教団においては霊的指導者が失敗や罪を犯したとしてもそれを口外してはならず、直接その指導者に悔い改めを求めるよう教えていたのであるから、セクハラ被害を公に訴えることができなかったことも不自然であるとはいえない。』として、権威主義的教会運営が事件発生のメカニズムであると断定して、それを許した教団の風土を明確に弾劾しています。
 第1審判決は、原告らがセクハラ行為を受けた共通の心理状態について『ビュンの教えに半信半疑でありセクハラ行為に生理的嫌悪感を抱きつつも、神の教えに従って霊的指導者に従順であるべく、これを正当な行為であると考え又は考えようとしてセクハラ行為を甘受していたと考えられるのである。』、『真実は性的意図に基づく行為であるのにそうではない正当な行為であるかのように偽った情報を提供され、ビュンのセクハラ行為を甘受しなければならないという意思決定を誘導されたと言う点で、原告らは一種のマインドコントロール下にあり、そのためにセクハラ行為を受けていたということも出来る。』と結論しています。
 さらに、第1審判決は、加害者であるビュンの性癖について『ビュンと女性信徒との距離が不自然なまでに近かったことがうかがい知れるところである。』とし、ビュンの女性信徒との日常的な身体的接触(口へのキスやハグなど)は一般社会の許容範囲を超えていると指摘しています。

(注:以上、『   』は、第1審判決からの引用。)
 

支援してくださった方々への感謝:
 事件が公になってから8年を超え、民事訴訟提訴以来7年に及ぶ長い年月にわたって、弱い立場にあり時として孤立しがちな女性たちを支え続けて来られた支援者ならびに超教派の牧師の方々に、私たちは深甚の謝意を表します。また、法廷の場で原告らの人権を粘り強く擁護してこられた原告らの代理人弁護士の方々に御礼申しあげます。
 民事裁判原告団の方々がひとりも脱落せずに、この長期間の裁判を闘い続ける事ができた背後には、多くの方々の励ましや祈りがありました。また、経済的弱者の立場にある原告の方々に対して、多額の尊い献金が寄せられて裁判のための資金が備えられたことを忘れることはできません。支援してくださった多くの方々にあらためて感謝し、心から御礼申しあげます。

民事裁判と刑事裁判の違い:
 原告のうち1名がかかわった刑事裁判でビュンが無罪判決を得たことをもって、民事裁判の判決すべてを不当であるとする教団の主張は、論理の飛躍を伴う暴論です。刑事裁判においては、ビュンにアリバイ成立の可能性があるとして無罪とされたのであって、「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用されたのです。しかも、刑事裁判では、ある特定の日時におけるひとつの姦淫被害について審議されただけで、それ以外の、4名の被害者が民事裁判で訴えたあわせて合計70件(訴状に記載した被害件数の合計)に上るセクハラ被害は、刑事裁判では審議の対象とすらされていません。
(詳しくはこちら→「被告教団文書に対する反論(2015/09)

国際福音キリスト教団に望むこと:
 ビュンおよび国際福音キリスト教団は、控訴審において、信用性に大いに疑問のある証拠を提出して第1審原告供述の信用性を意図的に毀損しようとし、さらに同じ証拠にもとづき上告審でもふたたび虚偽の主張を展開するなど、法廷内において悪質な行動を繰り返してきました。
 また、最近になって、国際福音キリスト教団は「ビュン牧師は無実無罪である」という虚偽と欺瞞に満ちたキャンペーンを進めています。さらに、今回の最高裁決定を受けて、国際福音キリスト教会ホームページ上で「最高裁棄却に関する弁護士からの声明文」を公開し、準強姦刑事裁判と今回の民事裁判の違いを根底から無視した主張を繰り返して民事裁判の確定判決を公然と批判していることは、まことに残念なことです。
 セクハラ裁判で敗訴が確定したにもかかわらず、ビュンが主任牧師として今もなお教団にあって主日礼拝で説教を語っていることは、私たちにとって理解しがたいことです。国際福音キリスト教団は、今回の最高裁決定(第1審判決の確定)を真摯に受け止め、事実を率直に認めて教団として公に謝罪したうえで、「ビュンを解任し教団として再出発を図る」べきであります。そのように教団内部の自浄機能を働かせてキリスト教界の中でけじめを付けることは、また、セクハラ被害を受けて長い間苦しんで来た原告やご家族の方々の心の癒しにつながるものでもあると確信します。
 国際福音キリスト教団に残る教職者たちに対し、今こそ、あなた方が自らの言葉で語り、かつ自らの責任ある立場を明確にするようにと、私たちは求めます。

本セクハラ裁判の今日的意義:
 キリスト教会は、ある意味で、一般社会と隔離されて閉鎖的となりやすく、牧師の権威が強調されがちな環境の中にあります。その中にあって、牧師を含む教職者からセクハラ被害を心ならずも受けた女性たちにとって、その性的自己決定権を取り戻し、傷ついた人格権を回復することは、きわめて難しいことです。
 日本の幾つかのキリスト教会において、本事件と類似の牧師や教職者による不法行為が発生し、被害者たちが、あきらめ、孤独、いわれのない非難に遭遇して泣き寝入りせざるを得ないどころか、自死にさえ至る例のあることは、まことに残念なことと言わざるを得ません。
 しかしながら、教会は治外法権の場ではありません。本裁判の結末が示したように、牧師といえども不法行為を働けば当然のことながら法の下に裁きを受けることは明白であり、被害者が真実を語ることによって、法的救済を得て自らの名誉を回復することが出来るのです。万一、そのような境遇の中にいる方たちに私たちは言います。「あきらめてはいけません。泣き寝入りしてはいけません。まして、自らの命を絶ってはなりません。」

名誉毀損裁判:
 「セクハラ裁判およびパワハラ裁判における原告らの被害主張はすべて虚偽でありこれらの公開等によって名誉を毀損された」との、ビュンおよび国際福音キリスト教団の訴えを棄却した第1審判決が確定したことは、きわめて当然の結果であって、妥当であると、私たちは考えています。

パワハラ裁判:
 パワハラ裁判については、原告の請求には理由がないとしてその訴えが棄却された第1審判決が確定したことを、大変残念に思っております。事件発生のメカニズムがセクハラ事件と同じであるにもかかわらず、ビュンらのパワハラ不法行為が認定されず、ビュンらの行為と原告の精神疾患との因果関係も認められなかったことは、社会正義に著しく反するものであると、私たちは考えています。

今後の課題と願い:
 今回の裁判が先例となって、牧師の権威を強調するあまり同じような悲劇を招いている日本の一部のキリスト教会における同種事件の被害者が広く救済され、その人権が回復されるよう、私たちはこれからも警鐘を鳴らし続けて参ります。
 同じような被害に遭いながら、またそのような認識を持つことを制約されて、いまだに国際福音キリスト教団に残っている方々に対しては、今回の最高裁決定を重く受け止めてすみやかに再出発していただきたいと、私たちは切に願っています。

以上

 

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